本名:半田晴久(半田晴久)
生年月日:1951年3月18日
出身地: 兵庫県西宮市
普遍的な宗教性こそが大切であると考え、狭い宗教の枠を越えて、多面的に公共の福祉に役立つことを第一としているそうです。
主に、芸術活動や神道家としての活動等を行う際は、深見東州(ふかみとうしゅう)という通名を使用しています(以前は、深見青山という通名を使用していました)。学術活動や評論活動及び公益活動や実業家としての活動を行う際は、本名の半田晴久(はんだはるひさ)で活動しています。また、劇団活動や小説家、詩人として作家活動を行う際は、戸渡阿見(ととあみ)というペンネームを使用しています。さらに、上記のあらゆる活動を行う人物として登場する際はレオナルドTOSHUというペンネームを使用しているそうです。
長谷川幸延(小説家、劇作家)は、親戚にあたるそうです。
1951年、兵庫県西宮市で生まれる[19]。半田家の生家は代々酒樽製造業を営んでおり、最盛期には灘五郷の酒蔵の酒樽作りを一手に引き受けていた日本一の酒樽屋だった[20]。1962年、10歳の頃から、近隣の世界救世教で信仰に目覚めた母より宗教心を育てられる[21]。1967年、15歳で、世のため、人のために生きるという人類救済の発願をする[22]。その後、母の原因不明の病気治癒がきっかけで救世教から大本教へ転向し、大本の教典である『お筆先』や出口王仁三郎の著書『霊界物語』を繰り返し読み、救世教当時の疑問を解決する[23]。
兵庫県立鳴尾高等学校より同志社大学経済学部に進学。大学入学前に、純文学、恋愛小説、哲学書など1000冊以上読んだ[24]という読書家。父と神戸大学ESSで活動した叔父の二人から半ば強制的にESS(ハードな部活で知られる)に入るように命じられ、後にESSのプレジデントとDiscussion Sectionの代表を務め、400人の部員をまとめ組織改革を行う[25]。専攻は国際金融論。ゼミのテーマは「南北問題の経済援助について」。
大学卒業後、大和ハウス工業の営業マンとして東京に赴任する[1]。1977年に、大本教と提携している銀座の道院紅卍字会で、根本宏に師事をし、ひたすら中国の古典やあらゆる宗教の原典を学び、一年足らずで根本より「もう私からあなたに教えるものは何もない。あなたは『任天(にんでん)の導師[注 1]となる人に違いない」と評される。1978年、大和ハウス工業退職後26歳で独立し、予備校みすず学苑を設立[1][16]。1984年、ワールドメイト(旧コスモコア[26])を設立し講演活動を始める。
2006年、清華大学美術学院美術学学科博士課程修了、同美術学院でに文学博士(Ph.D.)[27][4]。浙江大学大学院中文学部博士課程修了、同大学院で2007年に文学博士(Ph.D.)[27][4]。
国内外に十数社を経営し[15][16]、抽象的理念にとどまらない実践派[28]コンサルタント[15]としても活動している。その他、芸術活動、福祉活動、公益活動など活動分野は多岐にわたり、「同時通訳の神様」で知られる國弘正雄から、「現代のルネッサンスマン」と呼ばれ多芸多才を評される[注 2]。2009年以降は、ジュリアード音楽院からも「現代のルネッサンスマン」と評されている[14]。
2013年3月30日より、HANDA.TV(インターネットテレビ)で、出演番組が毎日放映されている。同年春、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の世界文化遺産登録の実現のために、安田喜憲の依頼で第37回世界遺産委員会議長をつとめたカンボジアのソクアン副首相等に、三保松原の重要性を直接話すなどの働きをした[29]。
子供の頃は音楽教育を受けることはなく、テレビアニメの主題歌を頻繁に口ずさむのが唯一の音楽教育だったとしている。今でもカラオケで最も歌いたい曲は、昭和のアニメソングやテレビ主題歌だという。 35歳からピアノを始め、36歳からバイオリンを、38歳から作曲を始める。40歳から声楽を志し、44歳から音楽理論の勉強と指揮を始める。1997年、46歳で武蔵野音楽大学特修科(マスタークラス)声楽専攻修了[2]。48歳で、西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学(Academy of Performing Arts)に入学し、オペラ等の舞台芸術を学ぶ。2002年12月、51歳で、西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院修了、創造芸術学修士(MA)[3]。[30]
その後、ユーリシッチ(バリトン)に師事す[31]。本場イタリア・オペラのベルカント唱法をマスターしている[32]。
2002年10月、外国人初の中国国立歌劇舞劇院一級声楽家称号を授与され、正団員及び歌劇舞劇院海外芸術顧問をつとめる[33][34]。1991年以降毎年、オペラ主演をつとめたり、コンサートを開いている。(後述)
ジュリアード音楽院名誉人文学博士[35]。オックスフォード大学Honorary Fellow[36]。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)Honorary Fellow[37]、グロスタシャー大学名誉博士[38][39]。その他、西オーストラリア州の西オーストラリア大学、カーティン工科大学[40]、エディスコーエン大学より名誉博士号を授与される。
Wikipediaより引用